19××年8月31日、ゆかりは産声を上げました。
家族は会社役員のパパ、音楽教師のママ、そして9歳年上の姉でした。
いわゆる駆け落ち夫婦で親戚には恵まれませんでしたが、そんな4人家族の末っ子としてすくすくと育ちました。


母親が音楽教師をしていることから、ご両親は姉妹に音楽を習わせたいとエレクトーンを購入。
しかし姉はあまり得意ではなく、エレクトーンはしばらくお部屋の肥やしになっていました。
一方ゆかりは3歳の誕生日から音楽教室に行き、エレクトーンを弾かせてみたところ大ハマり!幼稚園の卒業文集に「おおきくなったらエレクトーンプレイヤーになりたい」と大きな夢を書くほど上達していきました。
そしてゆかりは小学校に入学。このころにはエレクトーンの演奏が大人顔負けの技術になるまでに上達し、また学校の成績も学年で1~2位を争うほどになっていました。
そんな順風満帆のゆかりに、試練が訪れました・・・。

ゆかりが小学3年生になったある日の夜、、自宅で漏電事故が発生。家がたちまち火の海になってしまいました。玄関の近くの部屋に住んでいたゆかりと姉は命からがら脱出に成功。しかしご両親は救出はされたものの、病院で帰らぬ人になってしまいました。
ゆかりと姉は児童施設に身を寄せるものの、「火事の子」と馬鹿にされ、食事も睡眠もろくに取れない毎日が続きました。
姉が18歳になり高校を卒業した時点で「妹と二人で暮らす」と言って、ゆかりとともに児童施設を退所。今にもつぶれそうな古いアパートの一室を借りて二人で暮らすことになりました。
当初姉は朝は工場勤務、昼はコンビニエンスストア、夜は居酒屋の店員とアルバイトを3つ掛け持ちして朝から晩まで働いていたものの、一向に生活は良くならず、体を壊して数週間寝込む日がありました。そこで姉は「仕事を変えて夜だけ働く」といい、その夜の仕事をするようになって、ようやく生活ができるようになりました。しかし姉は次第に化粧が濃くなり、服装は派手になり、ゆかりは幼心ながら「何か危ない仕事をしているのでは・・・」と心配するようになりました。
ある日のこと、ゆかりはいつものように小さい手で夕食を作って姉の帰りを待っていましたが、その日の夜に姉は帰ってこず、朝になってドアをノックする音が・・・。
ドアの向こうに姉の姿はなく、代わりに立っていたのは女性警察官一人と男性警察官が数名。ゆかりは震えながら警察署に・・・案内された薄暗い部屋には変わり果てて動かなくなった姉の姿が・・・。

ゆかりはこの時あまり詳しくは教えてもらえなかったものの、姉は誰が父親かわからない子供をお腹に宿していたとのこと。
大人の手助けを借りたとは言え、まだ9歳で姉の喪主を務め上げたあと、「おばあちゃんの家に行きます」と警察官に一生懸命うそをついて警察署を後にしたゆかり。その日は大雨が降る肌寒い日。強風で傘が壊れ、雨に濡れながらどこにいくわけでもなく山道を歩いていました。
しかし次第に歩けなくなり、道端でしゃがみこんでしまいました。ゆかりはのちに「冷たい雨と温かい涙を見守るしかなかった」と語っています。
しかし幸運にもそこに一台の車が停車。。
運転手が交番へ行こうと提案するも首を振って拒否。仕方がないので自分の運営する事務所にて一時的に保護することにした彼。
その彼こそ、イマジナリーワールドでは芸能プロダクションを経営する「ふっちゃん」でした。彼とその仲間たちは、いったんゆかりを養子として迎え入れることにし、芸能人としての道を歩みだすことになりました。


ゆかりは事務所から支給されたエレクトーンを「久しぶり!」と笑顔で演奏しましたが、その腕前はかなりのもので、一人は唖然、もう一人は腕を組んでただただ聞き入るのみでした。
演奏が終わってゆかりが椅子から降りるや否や、先輩より「アンタ、シンデレラグランプリに出てみなさいよ!」と提案され、「わっ・・・私がシンデレラグランプリに!?」と一時戸惑ったものの、彼女は出場を決意することにしました。
シンデレラグランプリは女性が一生に一度用意されている舞台。一人一回しか出場を認められないうえ、これまでシンデレラに輝いた女性は一人もいないという過酷なものでした。


しかしゆかりは、エレクトーンの腕前と持ち前のかわいらしさで見事「初代シンデレラ」を受賞。
後日行われた受賞記念パレードでは沿道に5万人を超える人々が訪れ、ゆかりフィーバーが吹き荒れました。
13歳からは俳優業にもチャレンジ。ストイックに役を追い求める姿勢が評価され、ドラマや映画に引っ張りだことなりました。
特に、映画では「どこにでもいそうな地方の女の子」を演じるため、わざわざ地方の言葉を習いに行くなどし、また艶のない髪と少しヨレたセーラー服で熱演し、その様子は「つや消しのゆかりちゃん」として話題となりました。


そしてゆかりは、「私の芸能人としての賞味期限は30歳まで」と決め、30歳の誕生日をもって引退。その後はアイドルプロデュースや養成、作詞家、作曲家、映画監督としてその名を馳せるようになりました。
その結果、芸能人として活躍する以上に多忙な毎日を送ることになりましたが、そんなゆかりに二度目の転機が訪れることになります。
ある日、お弟子さんたちのレッスンの最中に突然具合を悪くして倒れてしまい、救急車で搬送。
彼女はあまりにも多忙な毎日を送っていたため、過労死寸前の状態だったということ。このままこの活動を続行させることはできないという現実を医師から突き付けられてしまうことになりました。


一般病室(個室)に移った後、私(ふっちゃん)はゆかりに「芸能活動すべてをやめ、引退すること」と「結婚してほしい」旨を伝えました。
ゆかりと私は次元がそもそも異なるので結婚はできないと思っていたようですが、私の言葉に声を上げて泣き出してしまいました。
ゆかりとの結婚式は船上式でおこなうことになりましたが、ゆかりは手に持ったブーケを「地球上の人たちが幸せでありますように!」と海に向かって放り投げました。
・・・そして今に至ります。
・・・To Be Continued.
